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キックボード茨城→宮城    【7日目】
● 2019年5月3日(金) はれ 宮城県東松島市〜宮城県南三陸町


北上川沿いの旧道はとにかく広く走りやすい。
車が通らないというだけも快適である。

河川の氾濫で多くの犠牲が出た「大川小学校跡」。
近代的な建造物だからこそ余計にリアリティーがある。

電車駅っぽくもバス停っぽくもあるBRT駅。
全国の不採算路線にも採用されそうだ。

海沿いの平野が一面更地というのは、明らかに
不自然。早く建物が立ち並ぶ街に戻ってほしい。

更地の真ん中にオアシスのように鎮座する
仮設商店街。復興への兆しを感じる。
朝は北上川沿いの道を走る。
途中から旧道が車両通行止めになっており、広い旧道を、車を気にせず走る。
開放感がたまらないのだが、あまりに風景が変わらないので、次第に飽きてくる。

しばらく走って立ち寄ったのが、大川小学校跡。
津波により大きな被害を受けた場所である。
北上川にかかる橋にがれきが堆積し、それが栓となって逆流してきた津波が氾濫をおこしたところだ。
避難が遅れ犠牲者も多数出て、ニュースにも多く取り上げられている。
校舎が近代的な造りで、敷地も広く建物も点在していることもあり、それらすべてが荒廃しているさまは、昨日の荒浜小学校とは違ったリアリティーを感じる。


北上川の河口に到着し、進路を北へ。
アップダウンの道が続く。
経験上、こういう道では坂を下った先々に小さな集落が点在する。
しかし、明らかにあったはずの集落が消えてなくなっているさまが、雰囲気でわかる。

昼食は、慰霊碑の設けられた公園の東屋。
海沿いは昼食がとれるお店がないだろうと思い、事前にコンビニでおにぎりを買っていたのだが、見事にその勘が当たった。

そこからは、ひたすら山道を走りながら、集落跡と思われる光景を目の当たりにする。


山道の終着地である戸倉に着くと、珍しいものを目にする。
一見電車の駅みたいな待合所があるのだが、線路はない。
でも、駅名は書かれている。

調べてみると、これはBRTというバスシステムだという。
バス専用道を敷き、そこにバスを通したもの。
津波で流された廃線跡を利用しているようだ。
バス専用道の整備が間に合わない区間は一般道を走ったり、住民の要望に従って駅を増やすなど、電車よりも融通がきく。
なかなかよく考えられたものである。


この一帯ではもっとも栄えているはずの志津川の街に到着し、愕然とする。
平野となっていて、どう考えても街があっておかしくないというのに、ひたすら空き地が続く。
電柱が立ち並んでいるのに、建物がないという違和感。
震災のニュースで、被災地の代表格としてよく耳にしていた「南三陸町」が、まさにここに当たる。
集落跡をさんざん見てきたが、あまりに広範囲である。

仮設店舗が並ぶ「南三陸さんさん商店街」へ立ち寄ると、そこにはかつてこの一帯に実店舗のあった老舗であったり、海産物の食堂などが並ぶ。
建物もきれいだし活気があり、街が津波で飲み込まれても前向きに立ち向かうエネルギーを感じる。
「復興」という言葉が、自然に頭をよぎる。
何を持って復興完了と呼べるかわからないが、この街が復興を遂げることを心から願う。


そこから宿までは、少し山手に入ったところ。
ほとんど店舗がないながらも、コンビニとドラッグストアは何店舗か建っている。

ある地点まで走ると、昔ながらの集落が並ぶ。
津波の到達点が確認できると同時に、かなりの場所まで津波が来たことを肌で感じる。


宿に到着したのは午後6時半。
予約サイトではコンビニと居酒屋が徒歩5分圏内にあると明記されていたのに、宿のスタッフに聞くと、ないそうな。
それを期待して素泊まりで予約したのに!
早めに風呂を切り上げ、午後8時までやっている定食屋に何とかすべり込む。

定食屋というか、スナックみたいなたたずまい。
鮮魚をアテに酒を飲みたいという気分だったのに、メニューには定食しかなく、焼肉定食をいただくことに。
また、朝食用にカツ丼を作ってもらう。

食いっぱぐれこそしなかったものの、今までの旅でも珍しいトラブルである。


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