|
川の上にそびえる「筑後川昇開橋」。機会があれば、
橋の昇降や、船舶がくぐる姿を見てみたいものだ。
足湯なのに、ホンモノの泉質を感じられる「嬉野温泉」。
土産屋が並ぶ光景を見ると、旅行者として訪れたくなる。
木造というだけで、なぜかなつかしさを感じる「千綿駅」。
疲れのたまった体には、避暑地として最高の場所である。
赤ちょうちんまでぶら下げたこの建物を見て、果たして宿だと
判別できるだろうか。ここまで脱力感ある宿は、はじめて。
|
きのうほどではないが、あいかわらず朝からくもっていて、蒸し暑い。
夏でも朝はすがすがしいイメージを持っていたが、こんなもんだったろうか?
出発してすぐのところにある、「筑後川昇開橋」なるところに寄ってみる。
まっ赤な鉄製のボディの中央部分は、船舶が通れるよう、昇降するらしい。
かつては電車も通っていたらしく、橋の手前に踏み切りが設置されている。
何でも、ここは開運スポットだそうな。
この頑丈ないでたちの、どこが開運なんだろうか。
と思いきや、どうやら「海運」とかけたダジャレのようだ。
地方の観光地では、こういう短絡的な言葉遊びを、たまに見かける。
ちなみに、橋を渡れる時間帯は1日に8回と限られており、残念ながら渡ることができなかった。
午前11時ごろには、太陽が顔を出しはじめ、本格的に暑くなってくる。
避暑も兼ねて昼食をとりたいところだが、目につくお店は、どこも開店前。
スーパーやコンビニも、見当たらない。
空腹も感じてきたので、今回たまたま持参したアメとキャラメルでしのぐ。
これがなかなか効果的で、空腹感が見事にまぎれる。
おなかがすいた状態で走ると、心が折れそうになるので、今後は必ず持ち歩くことにしよう。
ようやくコンビニを見つけ、昼食をとるも、コンビニの屋根はせまい。
ひととおりごはんを食べ終えたころには、もう日陰がほとんどない状態。
仕方なく、休憩をあきらめて先に進む。
休憩場所を探しながらたどり着いたのは、「嬉野温泉」。
下品なネオンが点在する、昔ながらの温泉街の風景が広がるも、人が少ない。
さびれているのか?
ちょうど中心地に、無料の足湯がある。
足を酷使する旅をするなかで、これほどありがたいものはない。
ほんのりぬるく、そして驚くほどヌルヌル。
いっそ、近くの日帰り湯に寄ってやろうか、と思うほど。
この近辺は中心地らしく、そこそこ人が多い。
足湯も、常に満席状態である。
さらに、どこからともなく、バルーンアートを手にしたおっちゃんがやって来る。
かつては大道芸人として腕をならした、という自慢話をしながら、次々とバルーンアートを作っては、足湯につかっている女子大生に渡す。
おっちゃんが少し外したときに、「私サークルでバルーンアートやってるし、もっとすごいの作ってるのに・・・」という声は、聞かなかったことにしておこう。
しっかり休憩してからは、山道。
といっても、比較的ゆるやかなアップダウンなので、苦ではない。
むしろ、ゆるやかな下り坂が続いてくれるので、地面をける必要がなく快適である。
午後4時ごろ、急激に疲れを感じる。
2日続けて長距離を走っているせいだろうか。
それとも、体力の限界か。
休憩場所に選んだのは、「千綿(ちわた)駅」という小さな駅。
木造で比較的きれいながら、実にノスタルジックな雰囲気が出ている。
駅からすぐ海がある、というのもいい。
時間が気になるも、軽く仮眠をとる。
残りあと2時間。
時間も時間だし、休まず一気に走り切りたいところである。
が、いぜん疲れはとれず。
たまたま見かけた神社で休憩する。
すると、ひっきりなしに蚊が寄ってくる。
蚊を払うのに気をとられ、あまり休むことができない。
夏の夕方は、これだから困る。
そろそろ宿に着きそう、という場所で、食料と水を買い込む。
が、どうやら地図を見誤ったらしく、まだまだ距離があった。
買い込んだものが重く、思わぬハンデキャップとなる。
日も暮れかかる午後7時前、ようやく宿に到着。
宿といっても、居酒屋さんが主体で、その奥の敷地に泊まれる建物がある、といった感じ。
たまたま居酒屋から顔を出したおばちゃんが、かんたんに部屋を案内してくれ、あとは放置。
宿泊施設として接客する気のなさが、ひとり旅においては意外にイヤではない。
そのぶん宿代が安いし、文句はない。
そして意外に、部屋はきれいなので、むしろ満足である。
きのう飲まなかったビールを、今日はしっかり堪能。
うまい!
がっつり夕食を食べながら、ふと気がついた。
そういえば、このお宿は朝食付きだった。
にもかかわらず、それを忘れてスーパーで朝食ぶんの食料も買い込んでしまった。
捨てるのも申し訳ないので、おなかパンパンになりながらも、すべて食べる。
この過食が、明日に響かなければいいのだが。
|
|
|