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港なのに釣り人がいない、波止港の朝。小屋の隣にある
自販機が稼動中であれば、昨夜苦労しなくれも済んだのに。
山中にひっそりとたたずむ、焼火神社。島と海を
見下ろせ、まさにこの島の「守護神」といえる。
見渡しのよい、国賀海岸までの道。フェンスの向こうの牛を
見て、隠岐島は闘牛でも有名だと思い出し、軽く身震い。
奇岩が続くなかで、特に存在感のある通天橋。「ここが最高の
ビューポイント!」といわんばかりに、お立ち台が設けられている。
絶えず広がる、空・奇岩・海・草原、そして坂・・・。海抜
0メートルからここまで、炎天下の下歩くと倒れそうになる。
国賀海岸からの帰り道も、見晴らしがよい。休憩所も自販機も
ないハイキングコースは、さすがに歩いている人が全然いない。
浦郷→来居行きの定期船。速いぶんゆれが大きく、
油断すると酔う。せめて甲板に出たいところだ。
来居の町並み。このような感じで、人里が2キロほど続く。
離島といえば人が少ないイメージがあるが、意外に多い。
道路沿いに水の湧く、「河井の地蔵さんの水」。本州では
このような湧き水スポットには、大行列ができている。
海岸に人だかりができていて、何事かと見ると、漁船の大行進。
土地特有のイベントに会えるのも、旅の醍醐味である。
無人島「島津島」の道は、ついさっきまで水没していたことが
わかるくらいずぶ濡れ。島へ渡る時間は限られているのか?
写真は右から・・・って、全員の名前を覚えていない。僕もこのとき
名乗ってない。とりあえず、右は声かけてくれたHummerさん。
上の写真に引き続き、これが出会ったメンバー。ちなみにHPに
写真公開していいかの許可はとってない。肖像権侵害、ごめん。
タープ内では、寝床を作る大人達。その外では疲れを知らずに
まだ遊ぶ子ども達。子どもの体力には、ただ脱帽するばかり。
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海鳥の鳴き声で夜中2度ほど起こされたが、予想どおり快眠できた。
午前5時半に目覚め、波止場を軽く散歩。
通常こういった港では朝早くから釣り人がいるのだが、ここでは1人も見当たらない。
ある意味、斬新な光景である。
住民の方はこの時間からすでに散歩などをしており、ほとんどの方があいさつをしてくれる。
中でも、1人の男性はいろんな話をしてくれた。
話のメインとなったのは、昨日行きたかったが行かなかった、焼火神社のこと。
昔はこの港いっぱいに船がとまり、焼火神社へお参りに行くという習慣があったそうだ。
焼火神社には立派な神木(杉)があるそうだ。
その他、かつて焼火神社は砲台などが置かれていて、展望が素晴らしいそうだ。
それを聞いて、好奇心の火がめらめらと燃え上がった。
行くつもりはなかったが、急遽焼火神社へと向かうことにした。
昨日来た道を30分ほど戻る。
あたりは山に囲まれているめ、まだ陽射しが当たらない。
とはいえ、上り坂が続くため、やや汗ばむ。
参道入口の東屋で小休止し、参道へと向かった。
予想どおり、雑草が生い茂る獣道で、時折クモの糸が体にまとわりつく。
こういう道では、マムシとスズメバチが怖い。
害虫に気をつけながら勾配の激しい獣道を歩くのだから、相当の気力と体力を使う。
やがて、神社の事務所が見えた。
事務所のすぐ横がちょっとした広場になっているのだが、ここからは波止の集落と海が一望できる。
「来てよかった」とひと安心しつつ、さらに奥へ進んだ。
道がやや薄暗いのは、まわりに何本もの大杉があるため。
特に神木は、聞いていたとおり、雄大である。
その神木のすぐ向こうが行き止まりになっており、そこに神社があった。
向かって右はすぐ崖である。
向かって左にも社があるのだが、左の社は岩にめり込んでいる。
どうやって建てたのだろうか不思議に思いつつも、何ともいえない神聖な雰囲気に、しばらく飲み込まれた。
30分は休憩しただろうか。
重い腰をあげ、神社をあとにして、再出発。
昨日から続いていた山道はすぐに終わり、集落が続く。
島の中央に大きな港湾があり、そこをぐるっと1周することにした。
高い建物はほとんどなく、のんびりとした町並みが続く。
なるほど、やっぱり僕の求めているのはこれだ。
ムリして山道登るより、こうして人の住んでいる町並みを歩いて、その土地の“生活”を感じることのほうが、よほど面白い。
港湾をまわり終え、そのまま西へと進む。
一旦町が途切れ、再度あらわれたのが、「浦郷」の町。
ここはフェリーが何隻も泊まるためか、土産屋が立ち並ぶ。
それにしても、ほんの2〜3日前にはじめて知った島だというのに、予想以上に多くの人が住んでいるし、にぎわっている。
日本って、広いなぁ。
フェリーへ乗る前に、行っておきたい場所があった。
「国賀海岸」。
ここは隠岐島の顔とも言える、観光名所だ。
一面に草原が広がり、馬や牛が放牧され、海岸にはさまざまな「奇岩」がある。
「観光名所に興味はない」と言いつつも、ここまで自然を堪能できるのだったら、行かないわけにはいかないだろう。
民家を北へ抜け、細い山道を歩く。
地図で見ると曲がりくねって険しい印象があったが、意外に坂はなだらか。
木はあまり生い茂っておらず、ほうぼうで草原が広がっているため、見晴らしが非常によい。
さらには、草原にちらほらと牛が放されている。
これは歩いていて、視覚的に非常に楽しい。
ただ、牛のすぐ横を通らないといけない道はちょっと怖かった。
草食動物がいきなり襲い掛かることはない、とわかりつつも、巨体を目の前にすると、おじけついてしまう。
角も持ってるし。
そして、国賀海岸へ到着。
けっこう歩いている人が多く、バス停もある。
目の前には、雄大な草原と大海原が広がっている。
バス停近くの東屋でひと休憩して、いざ草原へ!
まずは、海岸へ降りる道が続く。
海岸からは「通天橋」という、侵食してトンネル状になった断崖が見える。
断崖を、気絶するほど長い年月かけくり抜く、海の力強さを感じた。
ここまではよかった。
そこからは、えんえんと上り坂が続く。
途中、休憩所はおろか、ベンチすらない。
腰を下ろそうにも、牛や馬のフンが至る所にあるため、なかなか座れない。
さらには、昼飯どきということもあって、まわりに誰もいない。
鼓動は信じられなく早くなり、何度も休憩した。
もちろん、物陰がないため、炎天下の下だ。
体力を回復させても、坂がきついため、数歩ですぐ疲れてしまう。
何やってんだろ?
今自分がこんな場所に、1人でいることが不思議でならなかった。
せっかくの絶景も、眺めるどころではない。
1歩ずつ、何かから必死に逃げるかのように、足を前へ運んだ。
後から気がついたが、純粋に順路が逆だったようだ。
やっと坂を上りつめた。
駐車場があり、そこには久しぶりに人の姿がある。
恥も外聞もなく上着を脱ぎ、長めの休憩をとった。
ここでようやく、景色のきれいさを再確認できた。
浦郷への戻り道は、上りとはまったく違う山道である。
しかし、相変わらず道路の両端に草原があり、ハイキングをするには最高にいい場所である。
浦郷港へ到着し、すぐさまフェリーターミナルへ向かった。
次の島「知夫里(ちぶり)島」へ向かう定期船へ乗るためだ。
久しぶりにあたるクーラーで、ひと休憩した。
旅するときはいつも先を急ぎがちだが、こんなゆっくりした時間も必要だなぁ。
30分ほどゆっくりして、定期船が来る10分前。
とりあえず手元の資料と、フェリーターミナルの時刻表があっているか確認した。
ない。
乗ろうとしていた定期船の名前が、どこにもない。
ターミナルを間違えたか?
あわてて観光案内所にたずねると、定期船はターミナル経由ではなく、直接外の乗り場で待つ必要があるとのこと。
そのへんはもっと丁寧に、どこか書いておくべきだろう。
定期船は、小さなクルーザー。
座席はクルーザーの前側と後側に設置されている。
はりきって前側の最前列へ座った。
が、他の客はみんな後側へ。
後ろのほうがいいのかな、と引き返す間もなく、クルーザーは勢いよく走った。
甲板へ出ることができず、景色があまり楽しめない。
やることがないので、次の行動を地図で追った。
が、すぐに気分が悪くなったので、結局ボーっと瞑想にふけった。
知夫里島の港「来居(くりい)」へ到着。
今までの港とは違い、ここは港界隈が閑散としている。
島前でもいちばん小さな島なので、観光客が寄らないのだろう。
あらためて、地図とにらめっこ。
どうやら島の東側に無人島があり、そこがキャンプ場になっているらしい。
今日の寝床をそこに決め、再出発した。
途中、道のすぐ脇に、湧き水があった。
野宿するのに水分確保は必要なので、持っているペットボトルに水を汲もう。
と、ペットボトルを出しているときに、観光バスがすぐ近くに止まった。
するとバスから、多くの観光客がぞろぞろとやって来る。
もちろん、みんな水を求めているのだ。
団体に萎縮し、思わず水を汲む順番をゆずった。
観光客は、誰1人として礼を言わず、われ先にと水を汲む。
そして汲んだ順に、そそくさとバスへと戻る。
あまり区分はしたくないが、「旅行」と「旅」の大きな違いは、こういうところにあるのだろう。
島は小さいが、民家がなかなか絶えない。
島の東側にさしかかったとき、海辺にやたら人だかりができていた。
見ると、海にはいろんな旗をかかげた漁船が、何十隻も群れをなしていた。
きっとこの島特有の、お祭りだろう。
海岸についたころには、残念ながら行進は終わっていた。
が、しばらく海岸沿いに歩いていると、またしても行進がはじまった。
間近で見ると、漁船によっては1人で黙々と船を操作する人、子どもを連れて両手をふっている人など、それぞれポテンシャルが違う。
特別な航海方法を披露するでもなく、花火や爆竹を鳴らすでもなく、ただ静かに船が次々と通る。
地味でありながらも、全部の船が1つの大きな集合体となり、思わず見入ってしまう。
午後6時、無人島のすぐ近くに到着。
このまま無人島に行くか、1時間ほど山道を散策してから行くか、迷った。
早くに寝床を確保しても、退屈である。
かといって山道歩いても、1時間で歩ききれるか不安だし、日が暮れると不安感に襲われる。
ここは心のゆとりを優先し、無人島へ行くことにした。
最近できたらしい、細く曲がりくねった橋を渡る。
島はほとんどが山で、海岸に舗装された細い道がある。
道は湿っていて、おそらく満潮時にはなくなるだろう。
明日の朝、無事ここから脱出できるのだろうか?
少し進むと、海岸があった。
ここでは牛を泳がすというイベントがあるそうで、海岸を見下ろすための木製のベンチが、何重にも並ぶ。
海岸といっても、砂地は狭い。
何人かの子どもらが泳いでいるほか、人はいない。
さらに奥に行くと、キャンプ場らしき場所。
「らしき」というのは、キャンプ場である標識などがなく、炊事場も何もないからだ。
でも地図を見る限り、ここがキャンプ場であることは間違いない。
一応ちょっとした、芝生の広場となっている。
しかし広場は山形になっていて、平地の面積が少ない。
平地でテントを張ろうとなると、大型のものを3つ張れば満席となるだろう。
キャンプ場には、すでに家族らしき人たちがいた。
「らしき」というのは、女性が1人しかいないのに、子どもが5人もいるからだ。
他に大人の男性が3人いて、どう考えても家族ではない。
本来なら芝生でダラーっと横になりたいところだが、団体さんに見られることを考えると恥ずかしい。
とりあえず夕日を見ながら、カッコつけてヒザついて座り、海岸で日記を書くことにした。
「あの人何してんの?」「あの人もここ泊まるん?」「ばか、聞こえるって」などと、子ども達の声が漏れる。
野宿をしていると、よく聞こえる言葉だ。
日も暮れかかり、日記を書くには照明が必要な時間になった。
一旦日記を置き、今のうちにテントでも張ろうと、芝生へ戻った。
なるべく団体さんに迷惑かからない所、どこだろう・・・と芝生に目をやっている矢先だった。
「おい、兄ちゃん!」
見るからにイカツイ感じの男の人が、突然こちらに向かってきた。
邪魔だから追い出されるのか、と警戒していたが、そうではなかった。
「メシどうすんの?良かったら一緒に食わん?」
思いがけない言葉に、少し返答が詰まった。
「いいやん、来いな」と誘われ、うれしいやらはずかしいやら、何度も「いいんですか?」と恐縮しながら、夕食をお邪魔することとなった。
(会話中の言葉は岡山弁でしたが、岡山弁がわからないため、大阪弁に置換しております。)
ちなみに、隠岐に来てから口にしたものは、カロリーメイト1ブロックと、小袋のおかし1袋。
とっさに断る言葉が出なかったのも、無理はないだろう。
蚊帳つきタープの中は、全10人がおさまるには、ややせまいくらいのスペースであった。
想定外の訪問者に座席が足りなくなったようで、申し訳なかった。
いただいた料理は、まずはビール。
それからは、さざえのお造りと、さざえのつぼ焼き。
何と、お昼の間に素もぐりして、さざえを採っていたらしい。
さざえのつぼ焼きは、絶品!
今まで何度も食べたことあるが、ここまで甘みとコクのしっかりしたさざえは、はじめてだ。
あと、“からす貝”と言っていただろうか、採ってきた貝からダシをとり、インスタントみそ汁をぶっこんだものをいただいた。
貝のダシがよく出ていて、とてもインスタントとは思えない、深い味わいだった。
その他は、米と缶詰。
料理には極力手をかけず、遊びの時間を最優先するためだそうだ。
アウトドアに手馴れた人の発想だな。
タープ内は、よそ物の僕でも楽しめる、非常にアットホームかつウェルカムな雰囲気である。
特に僕に声かけてくれた方(以下、Hummerさんと記載。仮称です。)は、やはりアウトドアが好きなようで、いろんな話ができた。
こういうときにこそ、「ママチャリ日本一周」というネタが生きる。
これに関しては、やや警戒心を持っていた子ども達も食いついてきて、打ち解けられた。
そして、就寝。
子どもらは1つのテントでザコ寝。
やれフナムシがいるだのムカデがいるだの、なかなか寝ない。
大人はタープでザコ寝。
さすがに僕が寝るスペースはないので、僕だけマイテントで就寝。
なるほど、こういう出会いも旅の醍醐味の1つなんだな。
出会いの少ない旅を続けているので、非常にいい経験ができた気がする。
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