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キャンプ場の朝は、非常に静か。1人だったら寂しすぎたかも。
写真でわかるだろうか、タープとテント以外の箇所は坂です。
自分らの荷物をまとめた子ども達は、完全に渡し舟待ち。
「泳ぎたい」との声も。そら、じっとはしていられんわな。
「まだ眠てぇヤツおらんか?あっお前眠そうや。ほれ運転してみ」
巧みに子ども達を楽しませるオッチャン。サービス精神満点だ。
境港「水木しげるロード」を徘徊。この日は、今までの旅程で
もっとも暑い日。道端の妖怪銅像も、かなり高音になってた。
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テントで寝ると、日が昇るころの時間に目が覚める。
これは僕ひとりのことではないらしく、午前6時前には、お隣のタープで大人組がすでに起きていた。
昨日の夕方の段階で、今日中(15日中)に大阪へ帰ろうと思っていた。
暑さとしんどさと孤独と、いろんなマイナス要素が強かったためだ。
帰りの飛行機やフェリーの予約を一切とっておらず、最終日の16日には帰れる保障がなかったせいでもある。
その旨を昨夜みんなに話すと、「僕らも明日帰るので、一緒に帰ろう」という話になった。
どこまで謙虚になるべきか判断できず、お言葉に甘えることにした。
午前7時ごろには子どもらも目覚めだした。
昨日この無人島まで橋を渡ってきたが、どうやら渡し舟があるとのこと。
渡し舟を午前9時にお願いしているそうで、それまでに昨夜の晩餐跡やテントなど、片付けることとなった。
仕事の分担は基本的に、最年長のHummerさんが取り仕切っていた。
しかし、まわりは各自が自分なりの仕事を見つけて自主的に動く。
子どもらも、自分の寝袋をたたんだり、自分の荷物の片付けをこなす。
何て見事な連携なんだろう。
ゲスト扱いの僕は、基本的に仕事を言い渡されない。
が、もちろんただ見ているわけにはいかないし、そういう性格ではないので、仕事を見つけて動いた。
知らないうちに、団体の一員として完全に溶け込んでいた。
やがて渡し舟が到着。
小さなモーターボートで、おそらく漁船だろう。
海面までの距離が近いため、ものすごいスピード感だ。
途中、運転手さんが子どもらに舵をとらすなど、サービスも万全。
なるほど、歩いてばかりじゃなくて、こういう旅もいいもんだな。
渡し舟から降りると、フェリー乗り場までは白タク。
さっきの渡し舟のおっちゃんが、軽トラで再登場。
荷台に乗っての移動は、この歳になっても楽しいものだ。
フェリーは1時間半待ち。
狭いフェリーターミナルで、ダラダラと過ごす。
ここでは、僕は比較的協調性なく、ひとりになっていた。
子どもらが集まってきて、ママチャリ旅のこととか聞いてくる。
しかし一問一答の返事ばかりで、こちらから話しかけることはなかった。
純粋に、疲れているのだ。
「今から帰る」ということで、精神的にも肉体的にも、今までの疲労がどっと押し寄せたのだろう。
子どもらには、申し訳ないけど。
フェリーに乗船。
フェリー内はものすごく人が多く、自由席すら座れない人がいると思えるほど。
ここで、Hummerさんが見せた。
船員さんと交渉して、乗船口の踊り場を借り切ったのだ。
踊り場は客席とドアで仕切られており、完全なプライベートルームとなる。
おかげで約2時間、まわりの騒音に邪魔されることなく、ゆっくり眠れた。
鳥取の境港に到着。
ここで、車で来ている2人が少し離れた七類港というところまで車を取りに行った。
その間、腹ごしらえできそうな場所を探しに、みんなであたりを散策。
ここは、「水木しげるロード」といわれる観光スポット。
「ゲゲゲの鬼太郎」の原作者、水木しげるさんの出身地であるため、それにちなんだネーミングだ。
歩道の各所に妖怪の銅像があり、通り沿いには店がいっぱいある。
にもかかわらず、食べ物屋がない!
普通こういうところって、何かしらあるだろうに。
やがて車がやって来て、みんなで乗り込む。
途中、蒜山(ひるぜん)というサービスエリアに寄る。
ここのチーズケーキがとにかくおいしく、何度も試食した。
とうとう我慢できずに、1個買ってしまった。
岡山に到着し、ほとんどの人とさよならした。
その後、神戸方面に行くT君の車で、神戸まで乗せてもらった。
神戸までは思った以上に距離が長く、また途中で道が混んだため、終電ギリギリだった。
僕に気を遣って急いでくれたT君には、本当に感謝したい。
運転してもらってるのに、最後の最後で寝てごめん。
このような形で、旅は終わった。
標識なき林道、えんえん上り坂の続く草原は地獄で、何一つ面白くない旅になりそうだった。
そういう意味で、昨夜のHummerさん達との出会いだけが、唯一の華だった気がする。
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