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これを「道」と認識できます?雑草を踏み分け
道を探すプロセスは、これ以降も続く。
ご近所さんの有志で、新しく建て替えられた68番。
島民のお遍路を大事にされている気持ちが強く伝わる。
時おり岩に人工的な加工が見られる、86番までの道。
登山道としても魅力的なのに、放置されていてもったいない。
大きく割られた岩と、岩に複数の彫刻がある「岩屋」。
景色もよく、神秘的ですばらしい場所である。
88番で満願。達成感より、どしゃぶりの雨の中、
渡船乗り場まで戻る憂鬱(ゆううつ)さが勝る。
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残り30箇所も残っている、とあれば、おのずとあせりは出てくる。
午前7時には、部屋を出ていた。
が、宿のフロントは朝食準備で忙しいのか、何度呼んでも誰も出ない。
まだ会計も済ませていないので、とりあえずカギを持ったまま、出発。
民家をすり抜け59番をまわった後、道は果樹園のあぜ道へ。
こんなところ歩いて、果樹園荒らしと間違えられないかな、とビクビクしながら進む。
その矢先、目の前に作業中のおじいちゃんが。
当然ていねいに挨拶をしたわけだが、ついでに地図ではわかりづらい、60番の道をたずねる。
「1軒の廃屋があるから、そこからのびた横道まっすぐ」とのこと。
聞いたとおりに行くと、確かに道はある。
が、雑草がのび放題で、とても人の通る道ではない。
1歩ずつ草木をわけ、数分進んだところで、まさかの行き止まり。
必死に廃屋の周辺を探すも、それらしき道は見当たらない。
こうなっては、残念だが1つ飛ばさないといけないか。
とは思いつつ、しぶとく探すと、やはり草が茂りつつも、細い道を見つけた。
少なくとも、先ほどのおじいちゃんが「廃屋」というキーワードをくれていなければ、確実に諦めていただろう。
そこからどんどん、上り坂となる。
64番では、おじいさんがお堂の掃除のまっただなか。
「年寄りだけだと掃除は大変で、何より年寄りは毎年減る」
などというリアルなブラックジョークを、よくもお地蔵さんの前で言えたものだ。
さらに山手へ行った68番は、まさかの解体中。
近所の家をたずね、聞いてみると、おばあちゃんがていねいに説明してくださった。
お堂が古いことと、場所がわかりにくいこともあり、昨年末に移転をしたそうな。
あと、偶然というか何というか、おばあちゃんは明日から、四国へお遍路へ行くとのこと。
教えてもらった道を進むと、今までのどのお堂よりもきれいな新・64番がたたずんでいる。
ひととおり参ったところで、先ほどのおばあちゃんがやって来た。
「お接待です」と、わざわざペットボトルのお茶を持参くださったのだ。
このお遍路旅、というか生涯において、お接待なんてはじめてである。
本当に、ただありがたくもあり、申し訳なくもある。
71番を過ぎたあたりから、雨がパラついてくる。
まだ小雨程度なので、レインコートを着るほどではない。
が、天気予報に雨マークがあったので心配である。
それから少し進むと、スクータで走っている人が目の前で止まり、話しかけられる。
お遍路していることを話すと、島にある図書館に行けば文献があるので調べてみればいい、と助言をくださった。
なるほど、その手があったか!
今から図書館へ引き返す時間はないが、他の島をまわるときは、事前準備として図書館で調べる手段があるということを覚えておきたい。
80番は宿の近くだったので、宿へ寄ってカギの返却とお会計を済ます。
ちょうど昼食どきだったので、昨夜寄った「シゲ」を再訪。
店長さんはしっかり僕を覚えてくれていたようで、いろいろ話しかけてくれたり、島のパンフレットをいろいろ用意してくださった。
昼食後も順調に進み、終わりが見えはじめた85番をめぐった後、道は獣道へと変わる。
倒木あり、ぬかるみありで、ほとんど手入れがされていない。
にもかかわらず、明らかに人工的に加工された岩が脇にたくさんある。
これを越えた先にある「岩屋山」の参道として、かつて栄えていた形跡だろうと想像すると、妙に神聖な気分となる。
獣道を抜けると、急にハス畑が広がり、横にあったのが農業小屋のような86番。
しかし、そこから87番までにつながる道が、完全に雑草で閉ざされている。
3日間、雑草をかきわける必要のある道を何度も歩いたが、ここまでひどい場所はなかった。
ムリやり進もうにも、1時間かけて何メートル進めるか、という状態である。
86番に置いてあった鎌で雑草を除いて進もうか、とも考えたが、それこそ何日かかるねんというレベル。
ここに来て、まさかの挫折か?
などと絶望感を覚えながら地図を見ると、87番へ行くルートがもう1つあることがわかる。
まわり道になるが、岩屋山へ行ける別のルートから88番へ行き、そこから逆流するように87番へと行ける道があるそうな。
獣道をいったん引き返し、山のふもとをぐるっとまわる形で、今度は整備された登山道へ。
道中、いくつもある石仏は、これはこれで88体あってお遍路ができることに気がつく。
やがて、「岩屋」と呼ばれる大きな岩があらわれる。
巨大なのに人工的に加工されており、現代の技術では再現できないそうな。
岩に複数の模様や文字も刻まれており、実に不思議で神秘的である。
さて、山頂近くの「大元神社」へ到着。
鳥居の脇に87番への道があるはずなのだが、辛うじて道らしきものは、雑草で覆われている。
試しに雑草をかきわけ進むも、険しいだけでなく、足一本が辛うじて置けるくらい細くなる。
ここではない。
やはり、87番はパスするしかないのか?
肩を落として鳥居前に戻る。
と、神社の管理人さんとはちあわせしたので、87番の道を聞いてみる。
何と、先ほどの雑草だらけの道が正しいようだ。
意を決し、雑草の道を進む。
道は本当にせまく、足を踏み外せば、道のない林へと転がり落ちてしまう。
また、短パンという特性上、草陰にマムシがいようものなら、とんでもないことである。
とにかく必死に、背の高い雑草を踏みつけ、横からのびる草木をよけ、一歩ずつ慎重に進む。
しばらく行ったところで、ようやくお堂を発見。
まだあと1箇所残っているが、もうここだけで、満願したかのような満足感がある。
と同時に、とめどなく大量の蚊にも襲われ、お参りしたらすぐさま神社へ戻る。
88番へ向かう前に、神社の裏手へ足を運ぶ。
すると、海と尾道市街を見下ろす絶景が広がっている。
ゆっくり休憩しながら、風景を楽しもう。
と思っていたのに、ここに来て、まさかの雨。
急いでレインコートを着て、休憩もままならぬまま、急いで退散する。
またも合流した神社の管理人さんが、ちょうど外出するとのことで、途中までお話しながら石段を下る。
そしてようやく、最後の88番へと到着し、満願。
うれしいのはうれしいが、やはり先ほどの87番に達成感を奪われてしまった。
それよりも、雨の心配が先に立つ。
すっかり本降りになってきたこの中を、渡船乗り場まで引き返すのが、ただただ憂鬱(ゆううつ)に感じる。
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